カッコよく死ぬために、必要なことってなんだろう

 最近の思考実験のテーマの一つに、「PCを積極的に死に向かわせる」「PCが死んでPLが喜ぶ」そんなゲームはプレイできないものか?と考えている。

 ちなみに今回は、前回の「トーキョーN◎VAは本当に好き嫌いが別れるのか」の続きのようなものです。


 トーキョーN◎VAというゲームは、あえて端的な言い方をすると「生き残ることよりもスタイルを貫くことを大事にする」という側面を持っている。

 「スタイルを捨てるくらいなら死んだほうがマシ」なんて言ってみたいセリフだが、結局は死亡は避けるべきもの、積極的に自PCを殺すようにしむけることはまずしない。
 トーキョーN◎VAも古い版ではPC同士が対立することも珍しくなかったんだけどねー。



 なぜ「PCが死んで逆に盛り上がるようなシステム」を考えているかというと、理由は以下のとおり。

(1)「たとえ死んでも守りたいものがある」という状況をロールプレイしたい。

(2)ゲームバランスを間違えても、セッションの失敗とさせない。
GMの調査ミスのためか、単純にダイス目が悪かったかもしれないが、それらのせいでPCが死んでも、大成功とまではいわなくてもいいから、少なくとも失敗とみなさなくてもすむような、そんなシステムを考えたい。

(3)普通とは違うことをしたい
「PCは殺さないようにするもの」という常識を破れないものか、それでいてTRPGとして楽しめるものはないか。割りと左道な理由。


 ではなぜ「PLは自分のPCを死なせたくないのか」

(1)担当するキャラクターがいなくなると、ゲーム中ヒマになるから。
(2)愛着を抱いたキャラが死ぬのは悲しいから。
(3)ゲーム的には敗北だから

対策(1)ヒマにさせない方法
 → 1.1.すぐに別のキャラクターで遊べる。
  → 1.1.1. PCは死んでも転生できる。または、PCにはクローンがいる。
  → 1.1.2. 豊富なサンプルキャランターが用意されていて、その他の追加設定(ライフパスなど)もすぐ簡単に終わる。
  → 1.1.3. 新しいキャラとして途中でセッションに参加しても、シナリオの途中からスムーズに入っていける方法をなにか考えてみる。
 → 1.2. 自分のPCがシーンにいないとき、NPCや敵を担当する。
  → 1.2.1 田中天氏のようなプレイスタイルをシステムに組み込むような何かを考えてみる。

 転生できるとかクローンがいるとか、どっかのシステムで見たような・・・。

対策(2)キャラへの愛着があるため
 → 2.1.過度の愛着を持たせない。
  → 2.1.1.洋ゲーによくあるような「もともとよく死ぬシステムである」ということを参加者に徹底時に周知しておく。
 → 2.2.逆に、愛着を持つがゆえに、死ぬ時くらい自由に演出したいと思わせるような何か。
 → 2.3.キャラへの愛着よりもべつの何かに愛着をもたせる。
 → 2.4.キャラへの愛着よりもミッションを果たすことに高いモチベーションを与える。

 死亡するタイミングをPLが決められるというのもどっかであったようなシステムだな。

対策(3)普通PCの死亡はゲーム的には敗北だから
 → 3.1. 死亡がゲーム的な敗北とは限らないことにしたい
  → 3.1.2. PCが生き残ることよりも、ミッションを果たしたことに経験点を与える。このケースでは自動的にプレイヤー経験点を適用することになる。
 → 3.2. 自分のPCが目的を果たさなくても、別の誰かやパーティが目的を果たせばよい




 ここまで思考実験を続けて、エントリーを書き進めて、途中で気がついた。
 これって『クトゥルフ神話TRPG』の正気度や、『刑事魂』の"殉職率"があれば、十分再現できてるじゃないか。
 PCが死んでも楽しめるシステムを作るには、そう思わせるための仕組みを持つ世界観の題材を探すことが大切なんだな、という結論に達した。